溶けちゃいそう(海表)
「あー暑い・・」
辿り着いた社長室で、遊戯はソファの上に座り込んだ。
当たり前だが、此処は空調が効いていて涼しい。
出されたアイスティーを一気に飲んで遊戯はやっと人心地がついた、とソファに座りなおした。
「暑くて溶けちゃうかと思ったよ」
多くて立派なデスクに陣取った海馬は、遊戯の言葉に書類から顔を上げて言った。
「非ィ科学的だな」
ふん、と馬鹿にしたように鼻を鳴らすことも忘れない。
遊戯はぶう、と頬を膨らませた。
「例えでしょ」
本当に溶けるなんて遊戯だって思っていない。
アイスクリームだってあっという間に溶けてしまうほど暑い、という比喩表現だ。
遊戯の抗議など聞いても居ないのか海馬は再び書類に視線を落としてしまった。
この暑い中、来いと呼び出したのは海馬の方だというのに。
尤も迎えの車を断って歩いてきたのは遊戯だが。
だけど仕方がないではないか。
歩けば暑いとわかっていても、あの悪目立ちする黒塗りの高級車に誰が乗りたいと思うだろう。
庶民には遠慮したい、目立つ車だ。
海馬が書類を捲る音だけが室内に響く。
沈黙に耐えられなくなって遊戯は口を開いた。
「もしボクが」
「本当にアイスみたいに溶けて居なくなっちゃったらどうする?」
無視されるかと思ったが、海馬は顔を上げた。
少し考えて言う。
「・・泣くかもしれんな」
「ええぇっ?!!」
その意外な返答に遊戯は吃驚してソファから立ち上がった。
「そんなに驚くことか」
「えっ、だって海馬くんのことだから、ボクのクローンを作るとかサイボーグを作るとかソリッドビジョンを作るとか言うかと思ったのに」
どれも海馬コーポレーションの技術力と資金をもってすれば不可能ではない気がする。
それなのに、泣く、だなんて。
この、弟の他には誰も要らないとでも言わんばかりだった男の、それほどまでに必要とされる位置に、自分は居るのだろうか。
必要と、されているのだろうか。
「確かにそれらは皆、海馬コーポレーションの総力を以ってすれば、可能かもしれん」
しかし、例えばクローンならば、と海馬は言った。
「クローンは確かに遺伝子学上、武藤遊戯と同じ人間だが、『お前』ではない。お前を構成する物質は遺伝子だけではない。育った環境、経験、学んだこと・・そしてその過程でお前の人生に係わったすべての人間」
人生に関わった、人間。
そう言って海馬は自分を指して見せた。
確かに、海馬と係わったことで遊戯の運命は大きく動いたと言える。
「それらによって出来ている」
海馬は続ける。
「つまり、『お前』と似た人間は作れても、まったく同じ人間は作ることは不可能だ」
「陳腐な言い方をするならば、お前は世界で唯一の存在と言うことになる」
唯一の存在。
それは海馬にとって、と捉えて構わないのだろうか。
「さて」
話している間にも仕事をこなしていたのか、海馬は書類を整えて机の上に置くと立ち上がった。
遊戯の前に立って続ける。
「アイスのように溶けられる前に食うとするか」
ニヤリ、と人の悪い笑みを浮かべる。
・・・はい?
隣の社長専用仮眠室へと引き摺られながら、遊戯はほんの少し、人生の選択を誤ったかもしれないと思った。
END
海表
うっかり絆されたら
まるでアイスのようにペロりと食われたり(笑)
溶けちゃうのはこれからです。
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capriccio
2010.08.29