そう言えば珈琲が切れていた。
普段は紅茶派で、ゆっくり時間を取れる時は珈琲なぞ飲まないのだが、職場では眠気覚ましを兼ねて珈琲の時の方が多い。
茶葉と違って特にこだわりは無いから、インスタントで構わない。
自分で行っても良かったのだが、研究を再開した父の側でなるべく沢山の手伝いがしたかった。
午後から出掛けると言っていたすぐ下の弟についでに買ってきてくれと頼もうと声を掛ける。
「トーマス」
ところが、当然返ってくると思っていた五月蠅いなと言わんばかりの『なんだよ』と言う声は何時まで経っても返って来ない。
見ると固まったままぽかんとした顔で此方を見ている。
「どうした」
何かあったかと此方の方が驚いて声をかけると弟は言った。
「いや、その名前で呼ばれるの久しぶりだなって…」
嬉しそうに。
けれど嬉しいというのがばれるのは恥ずかしいのか其れを隠そうとするかのようにぼそぼそと弟が言う。
そうだ、確かに久しぶりだった。
もうずっと長いこと名前を呼ぶことも忘れていた。
その名は捨てたのだと思っていた。
けれどすべて終わったのだ。
復讐だけを考えて生きる日々は。
此れからはもっと、他のことを、大切な家族のことを考えて生きていけばいい。
「そうだな、久しぶりだ」
そう言って髪を撫でてやると、トーマスは照れ臭そうに笑った。
*
「トーマス兄さま、お茶のお代わりはいかがですか」
「いらねえ」
兄はぶっきらぼうにそう言うとさっさと席を立とうとした。
父が研究に夢中になると泊まり込んでしまって家に帰って来ない事は相変わらずで、其れを手伝っている長兄もなかなか帰って来ない。
久しぶりに全員揃ってのティータイムなのだからもっとゆっくり楽しみたいのに、次兄は自室へ引っ込もうとしている。
「じゃあ、フレーバーを変えましょうか」
アップルティーがあるんですよ。
我ながら必死だ。
行きかけていた兄は足を止めて此方を見た。
それから額を軽く小突かれる。
「わーったよ、ミハエル」
兄さまは口は悪いけれど、本当は優しいんです。
何だかんだと文句を言いながらも、ちゃんとボクに付き合ってくれる。
そう言う所が大好きです。
叩かれた額に手を当てて照れ臭そうに笑うとミハエルは言った。
「すぐに用意しますね、トーマス兄さま」
END